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「都立庭園」編 ~四季折々を歩こう~

《東京の四季》
今回、都立9庭園のうち、旧岩崎邸庭園、旧古河庭園、六義園、小石川後楽園、向島百花園、清澄庭園、浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園を紹介します。
《浜離宮》

平成二十一年正月二日、久しぶりに都立浜離宮恩賜庭園を散策しました。
東京の空はどこまでも青く澄み渡って、清々しい気分にさせてくれました。家族連れや友人同士などに混じって多くの外国からのお客様も「江戸情緒」を満喫している様子でした。一富士、二鷹、三茄子(なすび)という言葉があるが、この日はたまたま当地で諏訪流放鷹術のおめでたい催し物を見ることができました。近くのビルの屋上から鷹を呼び寄せ、獲物めがけて急降下させる。鷹匠が思い通りに鷹を操る様は、まさに日本の文化の奥深さを垣間見る思いがしました。でも、この日最も印象に残ったのは、諏訪流第17代宗家である田籠善次郎氏の挨拶です。鷹は生態系の最上位に位置する生き物であり、昆虫やカエルや山バトを食べて生きている。すなわち多くの命をいただいて頂点に君臨しているのであり、この流派と関係の深い信州諏訪大社の神事には、そうした生き物の魂を鎮める意味もある、という趣旨の紹介があり、多くの食べもので支えられている、私たち人間もまたしかりである、そのことに思いをはせて正月の一日を過ごしてはどうか、という趣旨であったかと思います。食の安全性の問題や人と人の関係の希薄化が言われている今日この頃、あらためて感謝の気持ちやおもいやりの大切さを再認識させられた一日でした。園内の早咲きの梅も馥郁(ふくいく)と香り、帰途も、低く白い雲が、東京のどこまでも青い空に映えていました。
伝統文化に触れる 香りを求めて庭園を散策
他の都立庭園も紹介します。
身近な庭園で、江戸から東京の歴史の一端に触れ、四季折々の自然を感じてみませんか。

《旧岩崎邸庭園》

洋の巧みと和の巧みの融合、旧岩崎邸は明治29年に三菱創設者の岩崎家本邸として建てられました。
イギリス人建築家のジョサイア・コンドルによって設計されたもので、洋館・撞球室・和館の3棟が現存します。
1999年に重要文化財に指定されています。
◆洋館
木造2階建・地下室付きの本格的なヨーロッパ式邸宅。近代日本住宅を代表する西洋木造建築とされています。戦後、GHQからの返還後は最高裁判所司法研修所などとして使用されていました。1961年、重要文化財に指定。
◆金唐紙
もともとヨーロッパで使用されていた金唐革の技法を、和紙を何層にも重ねることで日本風に表現した壁紙。手彫りの版木棒で型押して作られるため、非常に複雑であり、その技術を受け継ぐことが難しくなってきているといいます。
◆階段のオブジェ
石を彫る西洋の技術を用いて、日本の木を彫刻した飾りです。公園全体だけでなく、こういった小さな所にも和洋折衷が見受けられます。
《旧古河庭園》

洋風庭園と和風庭園の見事なコントラスト。元明治の元勲・陸奥宗光の邸宅が古河家の所有となった庭園です。 大正初期の庭園の原形をとどめる貴重な存在であり、国の名勝に指定されています。
◆バラの花壇
初夏と秋口になると、この花壇では一面バラの花で彩られます。冬の間の手入れが一番重要で、少しの手間の違いがその年の開花状況を左右するそうです。また、洋館正面には花壇を中心とした階段状の庭園があり、バラやサツキ、ツツジの花が咲きます。左右対称の「幾何学模様花壇」です。
◆洋館
イギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計の洋館。イギリス貴族の邸宅を踏襲した古典様式で、レンガ造りの建物です。絵を描きに多くの人が訪れていました。
◆日本庭園
洋風庭園から階段を下りると、雰囲気もがらりと変わった日本庭園が現れます。雪見灯篭が印象的。深山幽谷の観を呈しているそうです。中心には心字池という「心」の文字に似せた池があります。
《六義園》

徳川五代将軍綱吉の信任が厚かった川越藩主の柳沢吉保が、自ら設計・指揮をして築いた「回遊式築山泉水庭園」です。 園内の88箇所の景色の良い場所を選び、万葉集や古今集に詠まれている名所の名前をつけているそうです。 明治時代に入って三菱の創設者である岩崎家の所有となり、その後東京都に寄付され、一般公開となりました。
◆霜よけ
冬の風物詩、霜よけ。別名わらぼっちとも言います。庭園の大きさに合わせて本体の大きさを変えるそうです。
◆藤代峠
この庭園で最も高い築山から撮った写真です。「富士見山」とも呼ばれており、一番見晴らしの良いところです。頂上にはベンチとは別に、四角い腰掛のような石が置いてあり、かの柳沢吉保はこの腰掛に座って眺望を楽しんだと言われています。
◆松とほおづえ
つつじ茶屋横の松の木です。枝が雲海を思わせるように下に伸びています。枝の下にある木の柱は「ほおづえ」といい、成長して重くなった枝を支える重要な役割を果たしています。
《小石川後楽園》

後楽園は、江戸時代初期、水戸徳川家が江戸の上屋敷の庭園として造ったもので、光圀の代に完成しました。 中国の岳陽楼記にある、「天下の憂いに先立って、天下の楽しみに後れて楽しむ」という教えにちなんで「後楽園」と名づけられました。 その他、庭園の中には様々な中国の名所を模した景勝が配置されており、中国色豊かな庭園です。また、日本の名所を模した箇所もたくさん見受けられます。 小石川後楽園は、浜離宮と並んで特別史跡及び特別名勝に指定されている貴重な場所です。
◆通天橋
緑の中に朱色が生えます。この下には大堰川(オオイガワ)が流れており、京都嵐山の大堰川を模しているそうです。作られた当時は、神田川から水を引いていたそうです。
◆円月橋
橋の半円が水面に映って、満月のように見えることからこの名前がつきました。光圀と親交であった明の儒教者朱舜水の設計と言われています。この位置の足元には少し大き目の石があり、この石の上に立ってみると一番眺めがいいという目印でもあるそうです。
◆白糸の滝
滝の水の落ち方には名前があって、この滝は白い糸のように筋状に水がたくさん水が落ちる糸落ちの滝のようです。また、滝には「役石」といって、石のある位置によって水落石、水分け石など役割によって名前が付けられた石があります。
《向島百花園》

草花の素朴な美しさを感じる百花園。民営として始まった江戸の町文化が息づく花園です。 もともとは梅が主体で「新梅屋敷」と呼ばれていました。 自然を活かした庭造りのため、野鳥がたくさん観察できるそうです。
◆春の七草
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、ナズナ、スズシロです。明治以来の習慣で、七草を籠に植えたものを新春に皇室に献上しているそうです。
◆ハギのトンネル
百花園の名物のトンネルです。九月下旬ごろには、萩の花が咲き、花のトンネルになるそうです。
◆園内の風景
庭造りには数々の文人たちの協力がありました。園内には合計29以上の句碑が立っており、辿っていくと「いろはにほへと」になっています。また、蜀山人や大久保詩仏、芭蕉の句碑などがあります。
《清澄庭園》

関東大震災の避難所として多くの命を救った庭園。 江戸時代の大名庭園に用いられたもので、豪商・紀伊國屋門左衛門の屋敷跡といわれています。 明治11年、岩崎弥太郎が貴賓を招待する場所として買取り、改装しました。 岩崎家は庭園の防災機能を重視し、破損の少なかった現庭園部分を東京都に寄付し、そこは、昭和54年3月31日に東京都の名勝に指定されました。
◆鳥たち
池にはたくさんの鳥たちが暮らしていました。
◆池と涼亭
写真奥の料亭は、明治42年、国賓として来日した英国のキャッチナー元師を迎えるために岩崎家が建てたものです。改築工事を経て、現在は集会場としても利用できます。平成17年に東京都選定歴史的建造物に選定されました。
◆名石
庭園内には伊豆磯石、伊予磯石、佐渡赤玉石、備中御影石などの名石が55箇所に置かれています。これらの石は、岩崎家が自社の汽船で全国から集めてきたものです。池のほとりには昔船着場として使われていた場所の形跡も見られます。
《浜離宮恩賜庭園》

現存唯一の、海水を引き入れた庭園。 江戸時代の代表的な大名庭園で、庭園内に海水を引き込み、潮の満ち干きによって池の景観が変わる趣深い趣向が凝らしてあります。 歴代の将軍によって幾度か改修工事が行われ、11代将軍家斉のときに、ほぼ現在と同じ形になったそうです。 明治維新以降には皇室の離宮となり、名前が浜離宮となりました。 昭和23年12月には国の名勝及び史跡に、27年11月には国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。
◆ビル街と庭園
9庭園の中でも、一番高い建物に囲まれた庭園ではないでしょうか。昔ながらの自然を守ろうとする庭園と、開発・発展を繰り返す街の対照的な風景です。
◆鴨場
将軍家はここで鴨狩りの遊びをしていたそうです。鴨狩には三つの役割があります。池に来た鴨を水路に誘導する者、写真の覗き戸から水路を覗き鴨が全部入った合図をする者、そして、鴨を捕まえる者です。一度水路に呼び込んだ鴨は、一羽残らず捕まえたそうです。一羽でも残すと、その鴨が仲間に危険を知らせ、次から来なくなるそうです。
◆中島の茶屋
かつては房総半島を眺めることができ、夕涼みやお月見に使われたそうです。現在は昭和58年に再建され、抹茶や和菓子を楽しむことが出来ます。
《旧芝離宮恩賜庭園》

江戸を伝える石組の大名庭園。 もともと海だった場所を埋め立て、1678年に老中・大久保忠朝の邸地となりました。 忠朝は上屋敷を建てる際に藩地の小田原から庭師を呼び、庭園を作らせ「樂寿園」と命名しました。
◆江戸初期の大名庭園
その昔、海水を引き入れた潮入りの池でした。現在では埋め立てにより、淡水となっています。池には、中島や浮島で海と湖を表現しています。
◆庭師の技術
松の木の手入れをしています。木の手入れは難しく、思い通りの形に育てるには長年の感覚が必要とされるそうです。10年後に理想の形に育って欲しい、だからこそ今この枝を切るのだという、庭師たちの強い思いが伝わってきます。
◆西湖の提
中国の浙江省にある、西湖の堤を模した石の堤です。西湖はその絶景さから、しばしば日本の庭園に模倣したものが見られます。